ドス・エルシャウト
Dos Elshout

アムステルダム大学にて文化社会学を学ぶ。昭和62年、オランダ文化庁及び博物館協会を代表し、イントマートbv(マーケットリサーチ研究所)のための文化・歴史的収集物調査機関を設立し、運営に携わる。その後、フリーとしてヒルヴァーシュムにあるイントマートbv、アムステルダムにあるボークマン財団(公演入場料の国際比較調査、アムステルダムの地方分権及び文化政策)及び文化庁(欧州会議を代表し、オランダの文化政策の報告)の仕事をする。平成元年よりアムステルダム大学文化研究学部文化政策・方法論研究科講師。英国ワーウィック大学試験官も務める。

オランダの工業用建造物の保存

イントロダクション

工業用建造物の再利用……世界的傾向 60年代  
非工業化……工場などがこわされる
1800〜1850年以前の建物 以後の工業用建造物……経済価値のあるものだけ保存
70年代後半 オランダで再利用が始まる……英国の影響

工業用建造物保存に関する政府方針

最初の例1933年……廃水用建物 Stoomgemaal Cruquis  (1848年以来)
第二次大戦後の保存……3つのタイプのみ 井戸、灯台、風車

70年代の動き 民間国体の呼びかけ 小団体が集まり、FIEN
(独立した保存協会)の設立 自治やノウハウ しかし、都心部開発の名のもと、多くの建物が研究も記録もされずに消えた。

1988年 委員会の発足(科学・住宅・文化省による)

1989年 委員会報告(IIAD)
その後もう一つ委員会が発足

1999年 保存のための選択プロセス終了

問題点………財源の確保 保存か否かの決定……
経済効果より、地方自治体の方針が優先

オランダの都市の工業用建造物保存

18C〜19C半ばのアムステルダム……堀や門に囲まれた小地域、拡大なし

19C半ば オランダの産業革命……工業化がすすむ、工場は郊外へ

アムステルダムの拡大……人口の増加……工場群が市の内部に

組み込まれる 産業拡大……市内の工場を放棄……再び郊外へ

60年代 人件費の安い国々の台頭……企業の合併や工場閉鎖

製造業中心からサービス業へ……オフィスビルの増加、古い工業用建物の危機

アムステルダムの工業用建造物保存

Graansiloの例……文化的集会、
アーティストからの支援……保存へ (港の工業団地)

90年代 地方自治体の関与……現在、住宅団地へと変身 Westergastabriekの例(石炭ガス) 60年代 不用となる

70年代 論争のまと
ウェスタパーク市議会……アイディア・コンテスト
結果……住宅&公園

1960年代、開発の名のもとに貴重な建造物が破壊された。地域住民は座り込みなどで反対し、そんな中で住民、民間団体が結束した。70年代以降は保存が重んじられ、対立から対話の時代に転換した。官民の協力で、石炭ガス工場跡は芸術の拠点になり、老朽化した施設ほどイベント会場として人気がでている。そこから新たな文化的・経済的価値も生まれる。

 

 




I 経済同友会TOPI